風が強く吹いてきた 5
春だけど、まだ少し冷たい風が歪んだ木枠窓の隙間が入ってくる部屋。くたびれた毛布の中で僕と千尋はお互いの暖かさを分け合っていた。「あったか~い・・・」千尋が僕の頭を抱く「やわらか~い」僕が顔をうずめる。啓蟄で出てきた虫の様に毛布の中で2人モゾモゾとしていた。少し温かい春の日差し、春休みの運動部の声が響いてくる、「どこか出かける?」「このままがいいかな~」「ん」
時間が止まればいいのに・・・でも陽はゆっくりと落ち、部屋はお互いの顔が見えなくなるくらい薄暗くなっていた。「寒いね」「起きないと」毛布を出るとかなり冷えてきていた、暗いまま服を着る。服が冷えていて寒さがしみる。僕は服をこすりながら、千尋の着替えを待ち「いいよ」って言われて電気を点ける。「まぶしい~」目を細め二人で笑う。階段を下りて「もう休みも終わりだね~」「ん~始まったらあんまり会えんね」「・・」「休みは会えるから」僕は千尋のおでこにおでこを着けて、「オヤスミ」そう言って、部屋を出た。市場を通りながら夕食の惣菜を買って帰る。春休みはこんな日が続いた。
新たな学校生活が始まって、思った以上に忙しくて千尋に会えなくなった。うちの科は特に土曜日まで午後の授業があった。中学の頃放課後は一緒に帰っていたから、1週間も会わないと凄い会って無いきになる。
そんな中、週末に映画音楽のコンサートの約束をしたのだが、やっぱり授業で間に合わなかった。僕がホールに入るともう開演されていた、今更席を探して動くのも迷惑なので、ホールの1番後ろで眺めていた。お喋りの2人だからある意味これで良かったかな?とか思いながら映像と音楽を楽しんでいた。コンサートが終わり人の流れを待ち、頃合を見て僕は階段を下りた。千尋は入り口そばになっていた。「ごめ~ん」僕が誤ると。笑いながら「いいと、聞いとったしね、」僕達はホールを出た。「どうだった?退屈しなかった」「大丈夫知ってる映画も多かったし映像もあったから観ていない映画でもこれか~って」「なら良かった~自分の趣味で選んだかなって少し反省しちゃってた」久し振りにのんびりと二人で話しをしていたら中学時代に戻った様な気がした。担任が誰になったとか美術部が継続されたとか千尋が話してくれた、家の近くになり「寄ってく?」僕が聞くと「今日はやめとく父さんが帰って来てるんだ」「えっそれじゃ~駄目だね」僕は千鳥川まで千尋を送った。「んなら」「またね~」僕らは分かれた。また・・または何時だろう・・・妙の心に風が吹く感じがした。
数日後珍しく早く帰れたので千尋の家のドアを叩いた、千尋が出てくるやいなや「も~寄ればよかった!帰ったら高いびきで寝てたよ!」「信用されてんだよ、心配ないってさ」「年頃の娘が8時過ぎても帰らないのに」「いつも1人でやれてるから、安心しているんだよ」「そうかな~」・・二人でペッタリするこの時間がいい、口には出さない、千尋の髪を撫でる。「会える時間がないね」「科目多くて・・・」「寂しい?」「少し・・・」「少しか~」千尋の唇を軽く塞ぐ・・・ゆっくり体を離し「今度いつ会えるかな?」「日曜だけかも」「仕方ないね」軽く頭をなでる。だけどその後学校のイベントや言語道断の会合等が重なり千尋に会えない日々が続いた。
数週間後千尋の家に行ったら千尋は「今日はちょっと」「調子悪い」「ん・・・」「わかったまた今度」僕はアパートを出た。
あまりに気になったので、次の日僕はまた千尋の家に行った。少し暗い顔で千尋は僕を玄関に入れドアを閉めた。狭い玄関で立ったまま千尋は少し顔を上げ 「ごめんなさい・・別れてほしいの」
「えっ!」
「他に好きな人が出来たの」
「・・俺の事嫌いに・・」千尋が言葉を塞ぐ
「違うの!岡兄ィは悪くないの!私が悪いの!」
「岡兄ィよりもっと好きな人が出来たの」
「俺じゃだ駄目か~」首を振る千尋
「岡兄ィは岡兄ィで傍にいて欲しい!美術部みたいに!」
「・・・」「ごめんなさい・ごめん」何も言えない僕の胸で泣く千尋
「ごめん今は出来ない・・すぐになんか戻れない・・」
僕は千尋の肩を持ち体を離した。
「帰るね・・」
「ごめんなさい・・ごめんなさい・・」
閉めたドアの向こうで謝る千尋の声は通りに出るまで聞こえていた。
千鳥川を渡る、あの日と同じ頭の中グルグルする「何が悪いのか」髪の感触身体の細さ柔らかさ、この手に腕に胸に残っている、シャツの涙や匂いまだこんなに僕を包んでいるのに・・・もう会えない?そんな寒さで自分の肩を抱く。気が付くと冷たい寂しさに包まれた。
次の朝余り眠れないまま起きる、昨日の事は夢じゃないんだな~と思いながら昨日そのまま寝たシャツの胸辺りを撫でる。寂しいので千尋の匂いが残っているシャツを今日も着ることにした。学校に入れば少し気が紛れる。少しお馬鹿キャラを演じているからだろうか、学校と家・昼と夜がそのまま光と闇の様だった。
それから2週間くらい過ぎた日曜の朝玄関に誰か来た。玄関を開けると戸田京子が立っていた。「お、どうしたの」「散歩!行きません?」「えっ」「気持ちいいよ」
着替えて出てくると戸田は歩き出した。
「何処まで行くと?」
「公園!」
「すぐそこじゃん」
「いいの」
「・・」
「・・」
「私今岡兄ィに貰った帽子被って学校行ってるんだよ」
「?!」「千尋は何でも教えてくれたよ」
「・・」「昨日どこ行ったとか、お父さんに会ったとか・・」
「ん」公園を通り過ぎて大通りに出る。戸田は「登るよ!」歩道橋の階段を上がり始める。僕も後を上る。戸田は歩道橋の真ん中で止まって振り返る。
「コンサート行ったとか・・初めての・・・何でも話してくれた!私も岡兄ィ好きだって知ってるのに!」口を強く瞑って泪をこらえる戸田。こっちが泣きそうになる。胸が縮まり音がする。
「あたしじゃ駄目ですか?」
彼女の精一杯の台詞だったろう、抱きしめたかった・・癒したかった・・けどその頃の僕にはそれはできなかった。
「・・・」
「やっぱり岡兄ィは正直なんだか、やさしんだか」
泣きそうな顔のままいつもの様な力はないが銀の八重歯を見せながら笑ってみせた。
「じゃあ!・・あっ帽子気が済むまでは被って行きます!今の私のトレードマークですから」それだけ言って戸田は振り返り早足で反対側の歩道橋を降りて行った・・・。
1人歩道橋の真ん中で流れる車を見ている。「戻れないよな・・やっぱり、もう・・」頭の中で巡る。あの中学時代は壊れてしまった気がした。僕の頭の中にある何かのスイッチが鈍い音をだして動き出した。


最近のコメント